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国内の代表的家具産地

国内の代表的家具産地

家具の産地として有名な5大産地とは?

日本には大川以外にも代表的な家具の産地がいくつかございます。それらを総称して5大産地とも呼びます。
大川以外では北から旭川、静岡、飛騨、広島府中、徳島という代表的な産地がございます。
その中でも特に有名なのが旭川と飛騨の家具です。
それぞれに家具づくりの歴史があり、その土地土地での特徴があります。
ぜひ国産家具の産地を知ることで、大川家具にも興味を持っていただければ幸いです。

厳しい気候に育まれた旭川家具

旭川は北海道のちょうど中央くらいにある、旭山動物園や旭川ラーメンで有名な土地です。札幌から車で約2時間のこの土地は、周辺に青い池があることでも有名な美瑛などもある町です。
元々は豊富な森林資源を持っていて、元々はその木を活かして生活用具を作り始めたのが旭川家具の始まりと言われています。この地に多くの木工職人が移住しました。
森林資源に関しては豊富でしたが雪の多い旭川は木材の乾燥に不向きと言われてきました。それを解消したのが人工乾燥機。機械の導入で弱点を克服し、出荷量も増えて現在の旭川家具の興隆のきっかけになりました。
旭川家具は良質な木材を使って丁寧に仕上げられて、そのデザイン性も高く評価されています。
旭川では旭川家具のブランドの国際化にも熱心で展示会などのイベントも積極的に行っています。
かつては箱物が多く作られていたようですが、現在では脚物も積極的に作っており質の高い家具を作り続けている名産地です。

飛騨家具

飛騨家具の歴史は新しく、実は大正時代からです。
しかしながら、独自の高い曲木の技術を誇り、日本を代表する家具メーカーがいくつも存在する地が飛騨です。
飛騨の家具づくりの始まりは、鉄道も自動車もない時代、高山は陸の孤島とも呼べる交通不便な場所でした。そこに2人の技術者がやってきて当時あまり活用されていなかったブナ材を使った曲木の技術を伝えました。
そこからこの曲木の技術を用い、椅子を作り始めたのが飛騨家具の原点です。
戦後大川、旭川と並んで国内有数の家具産地となりました。
実は飛騨は平城京や平安京の造都に貢献した「飛騨の匠」と呼ばれる職人たちが存在した地域でした。腕利きの匠たちの技術が継承され続け、そこに曲木の技術が融合することで国内でも稀有な産地としての強みが生まれたのかもしれません。

静岡家具

静岡はかつて江戸時代前期、三代将軍徳川家光公が富士山本宮浅間神社を造営する際に集めた大工や指物師たちが、完成後も静岡に定住したことがルーツになっています。
静岡と言えばかつては、駿河、遠江、伊豆の国があり、先日最終回を迎えた「どうする家康」の主人公、江戸幕府の初代将軍徳川家康公が将軍退位後の晩年などに暮らした地としても有名ですね。
静岡家具は、漆塗りの技法を活かした鏡台や茶箪笥の産地として有名です。

広島府中家具

江戸時代に大坂(現在の大阪)でタンス造りの修行をしていた内山円三という人物が郷里の有馬村(現在の福山市)でタンス造りを始め、広谷村鵜飼(現在の府中市)の指物師であった内田多吉という人物がそれを学んで持ち帰ったところからスタートしたと言われています。
農閑期の産業としても木工が栄え、鉄道輸送が盛んになると販路も拡大されました。
また全国に先駆けて和ダンス、洋服ダンス、整理ダンスをセットにした婚礼家具セットを販売し、人気となりました。
現在では箱物需要の減少に伴い、総合インテリアに方向を転換してブランドを形成しています。

徳島家具

徳島家具は阿波藩の大名だった蜂須賀家政公が水軍基地を置き、そこに多くの船大工を住まわせたことが起源です。船大工の多くが廃藩置県により禄(給料)がなくなり、そこで始めた「安宅物」と呼ばれる日常雑貨やタンス、針箱などの製造が家具製造の土台となりました。
阿波鏡台が全国的に知られていましたが、現在はコタツや唐木仏壇の産地としても知られています。

まとめ

大川以外の家具産地の紹介をしました。早くからブランディングに取り組んできた旭川家具や飛騨家具を始め日本には様々な家具産地がございますが、室町時代にルーツがある、歴史の長い大川の家具も品質は決して負けないものばかりです。
大川は古くから木材の集積地として、様々な職人たちが集い木工が発展してきました。産地の規模も大きいため、様々な種類、様々なデザインの家具が集うインテリアの街です。
そんな街で生み出された大川で生まれた国産家具を是非ごゆっくりご覧ください。

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